菓子祖神 “田道間守命と中嶋神社”
田道間守命は、第十一代垂仁天皇の御代に、天皇も命を受けて海を越え、神仙秘境である「常世の国」に行って非時香菓(ときじくのかぐのみ)を持ち帰られましたが、すでに、出発してより十年目の三月で、天皇は既に崩御されていました。 命は、悲しみ、大和の西ノ京に近い「尼ヶ辻」につくられた天皇の陵前に「非時香菓」を献じました。第十二代影行天皇は、命の純忠をあわれんで、先帝の陵側に葬られました。“たちばな”は「田道間花」(たちまばな)のつまりたるものなりと言う説も古くから言われています。
“ときじく”は、時を択ばずの意味で、“かぐのみ”は、かおり高い果実の意味で甘橘類の一種で、その果実は、花も香り高く常盤なす名木として、柴宸殿の御苑に桜と共に植えられています。菓子の最上品たる橘を、遙遠の地より将来されました田道間守命を菓子の祖神「菓祖神」として崇敬される様になりました。