この春、豊岡の城下町を活かす会執筆の ぶらり出石の城下町 という冊子が発行されました。
出石のすぐ近くに住み、行き来の多い地の出石城下町ですが、あらためてその歴史と文化遺産を知る内容に感謝したいと思います。
早速その内容にある 出石からの道、出石への道の三つのルートを探ってきました。
寺坂から鯵山峠を経て谷山へ「京街道」
国道426号下寺坂から鯵山峠を経て谷山へ入る道は、狭い道ですが舗装され車も通れる道です。下寺坂にこんな標柱がたっています。
途中は近畿自然歩道の道しるべ。国道からおよそ2.2キロで鯵山峠です。
これが現在の鯵山峠。谷山から寺坂方面を見ていますが、この右側が有子山城跡への遊歩道です。
峠にお地蔵さんが見守っていますが、明治の年号が彫られていますから、参勤交代のお殿様を見送った地蔵ではありませんね。
登尾峠から久畑の関所を通過し、この鯵山峠を越えて出石に入った桂小五郎はどんな思いでありましたか。
ブックによれば、参勤交代で出石藩主が江戸に向かうとき、見送る一行が別れの挨拶をする場所でもあったとされる場所です。
茶店もあったとされる道のそばに、参勤交代を見ていたであろう地蔵尊が今も祀られているとの事ですが、それはどれでしょうか。これではないかもしれません。
今度は出石街道から養父に向かう和屋峠の道。峠は豊岡市と養父市の境ですが、養父の高中側に少し入った場所に「駕籠置き石」があります。
山陰道と出石郷の旅人の道は理解できますが、出石の殿様が参勤交代の行き帰りにこの峠を登り・・・とありますが、
江戸への道のまずは目指す京への道をこちらも利用したんでしょうかね。鯵山峠越えの方が近いように思いますが、歴史を知らない者の素朴な疑問。
ブックに 「国境石」 が紹介されています。現在の天谷峠から夜久野に抜ける峠道。冬のこの道は凍結でツンツルテン通行に危ない道。
登山の時の早朝通行に苦労する道です。ここに国境石・領境石がありますが、平成6年の工事の時に出てきたそうですね。
1.8m 重量540キロ 但馬の国と丹波の国の境界、福知山藩と出石藩の藩境。
いつも通っている道のそばに、なにげなく置かれている物や構築物に、意味ある歴史が刻まれている。
ある程度わかっている知識に更に上積みされた思いの3ケ所めぐりでした。
上記と関係ないですが・・・
山東町のよふど温泉に、鉢植えですが蓮がこんなに綺麗に咲いていました。もう夏ですね。