浜坂(諸寄)出身の歌人前田純孝(翠渓)は、同じ明星派の石川啄木と並び称されたが、明治44年31歳の若さで世を去った。
春来峠の歌碑
牛の背に我ものせずや草刈女
春来三里はあふ人もなし
諸寄港の歌碑
いくとせの まえの落ち葉のうえにまた
落ち葉かさなり 落ち葉かさなる
病を得、死の世界を見つめた失望と悲痛、自然のままに我を任せて諦めの境地に努めたのか?
加藤文太郎記念図書館前の歌碑
磁石の針振り乱さんは無益なり
磁石はつひに北を指す針
妻子と別れての帰郷療養、ついに逢うことも適わず死を迎えた。辞世の一首は居組七坂汐吹公園にある。
風吹けば松の枝鳴る 枝なれば明石を思ふ
妹と子を思ふ
前田純孝の資料は諸寄集落センターが記念館となっている。センター前には師の与謝野鉄幹直筆の歌と併刻された歌碑が建っている。
翠渓 鶏のこ恵朗に比々久春の日尓
光のどけき桃の一村
与謝野寛 まごころの光れる歌を猶よめバ
伝えて久し 若き純孝