但馬夢テーブル委員会『但馬の民家探訪グループ』が朝来市生野町を探索しました。
今回は26名という最多の申し込みが、早朝の大雪でキャンセルが相次ぎ、結局18名の参加となりました。
猛吹雪の中、集まっていただいた北但馬の方に申し訳ないぐらい、生野にはほとんど積雪無し。粉雪が舞う程度で「同じ但馬と思えない」と皆さんビックリ!
鉱山町生野での探訪は、国や市指定文化財の建物ということで朝来市教育委員会の方に案内していただきました。
江戸時代の地役人の屋敷だった旧浅田家本家の重厚な門をくぐると、玄関横に式台がありここは格式の高い代官さま専用。梁や柱の材にもかなりいいモノが使ってあるとのことで、さすが風格が違います。屏風や凝った作りの衝立もかなりのお宝か?と興味深々。
現在の持ち主の方は増築された洋館にお住まいで、文化財を保存することの苦労を話されてました。
この「東の浅田」と呼ばれた本家に対し、分家「西の浅田」の建物は残って無いが現在の市役所生野支所周辺の広大な土地が屋敷だったとのこと。
もう一つの分家「南の浅田」は昭和7年建築で伝統的な母屋に洋風の離れが不釣合いに見えるが、これが当時の流行だったとか。
洋館に続く渡り廊下は純和風だが、二階の窓には手すりがついて洋風な趣がある。
昭和27年からカトリック教会として使われていたが、現在は市の所有で活用方法を町民と検討しながら整備計画が進んでいる。
お昼は観光拠点となる口番所で鉱山社宅の味を再現したハヤシライスをいただく。町内の各店でもメニューとして登場する予定で、それぞれの味めぐりが期待できそう!
旧生野警察署(市指定文化財)は生野の大工が鉱山の洋風建築を真似て作ったもので、現在は公民館として利用されている。
「生野クラブ」は明治19年建築。代官所から鉱山の採掘権を与えられた大山師(おおやまし)の邸宅だった。
明治21年、生野鉱山を視察に訪れた有栖川宮熾仁親王がお泊りになった部屋もそのまま残っていて、凝った作りの建具に目を奪われる。宮様の使われたトイレはなんと畳敷き。緊張しそう・・・。
最後は鉱山官舎「甲社宅」の改修工事現場見学。明治9年に20棟建てられ4棟が現存、朝来市指定文化財。改修は明治9年・明治後半・大正・昭和の各時代の建て方を再現する計画。
屋根に使われている生野瓦を当時製造に関わった方に再現してもらい修復しているとのこと。この瓦は町内の古い家ではよく見られた物だが、現在はかなり減っている。
温かみのある瓦が生野の町にはよく似合う。復活して町中がこの瓦になるとキレイだろうなぁ~ :o(^-^)o